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編集長のブログ111 『テセウスの船』に思うこと

TBSの日曜劇場『テセウスの船』は、現代から平成元年にタイムスリップした青年が、大量殺人の冤罪を着せられた父親と家族を救うために奔走する物語です。主人公の田村心(しん)を演ずるのは、昨年、日本歯科医師会主催のベストスマイル大賞に選ばれた竹内涼真さんです。私も授賞式を取材させていただたいたことから、ドラマを視聴するようになりました。

原作は青年誌に連載された東元俊哉さんの漫画で、既に完結しています。ドラマの参考に前半の部分だけでも読んでみようとコミックスを少しずつ購入しましたが、堪え切れずに全10巻を読了してしまいました(笑)。


   (『テセウスの船 10』東元俊哉作 講談社刊)

ただ番宣によると、ドラマでは原作と真犯人が異なるとのことで、違った展開も見せています。タイムスリップという難しい設定から、「どうしてそうなる!」と突っ込みどころ満載ですが、父親役の鈴木亮平さんらの演技が素晴らしく、何よりも熱演する竹内涼真さんが漫画の「心さん」にしか見えないのです。久しぶりに次週が楽しみなドラマです。

「テセウスの船」とは、部品が全部入れ替わってもそれは元の船と同じと言えるのか、という古来からのパラドックスです(浅学で、初めて知りました 汗)。これが人間ならばどうなのか、過去の体験等が変わっても同じ人間と言えるのか、というのが本作のテーマのようです。
私は、過去の積み重ねが現在の自分を形成していると実感するので、過去が変わったら同じ人間とは言えないと思います。中身が変われば、それに伴い顔つきなどの外見も変わるものだと思います。

ドラマで、死刑囚として長年にわたり拘留されている父親役の鈴木亮平さんが見せる、悟りきったような表情と面会者に対する慈愛に満ちた声音は、冤罪で苦しめられた過程で成熟した人間性を表現しているように見えます。
私は、何人かの冤罪被害者とご家族にお会いしたことがありますが、自分のことだけでなく他の冤罪被害者を支援するその方たちの語る言葉は深く重く、私の胸に刺さりました。理不尽な究極の人権侵害を受けた試練により培われた精神性は、強く崇高なものがありました。

「人」を「会社」に置き換えても同様です。過去の上に現在があります。
その中で、魂とか本質というような、変わらない「核」のような部分は確かにあるとは思います。大切な核を見失わず、過去を踏まえて今を生き、そして未来へ…と、いうところでしょうか。

原作本はドラマ化によって火が付き、版元は増刷を繰り返しているそうです(うらやましい限りです)。この出版不況下でも、読者のニーズに合えば本は売れるのだと改めて思い知らされます。
品切れの書店もあるとのことでプレミアが付きそうな状況下でありながら、逆にドラマ化記念として「1~3巻セット」で定価の半額以下の廉価販売に踏み切っています。電子版の無料試読も大幅にページ数を増やしてサービスを拡大し、押せ押せでベストセラー化を推進しています。まさに、損して「大きく」得取れです。歯科図書専門の小出版社からすると、なかなか見習うことも難しいような商法です。

また、コミックスの購入でもう一つ気づいたことがあります。
漫画のコマ割りがざっくりと大きいのです。慣れないとスカスカに感じて何だか物足りなく、実際に短時間ですぐに読めます。電子版も試読していたので、絵面が細かいと電子書籍にしたときに読みにくいからだとようやく気づきました。その視点で他の青年漫画誌を見ても同様の傾向は顕著です。昔の漫画とは明らかに変わってきています。

確かにスマホで電子版の漫画を読むときに、かつて愛読した小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言』のように、細かなコマ割りとぎっちりと小さいな文字で、背景まで緻密に書き込んだ力作は読みにくいでしょう。
弊社は紙書籍がメインではありますが、電子版との同時発売を進めていますので、電子化への配慮も必要になります。

文化も商いも時代とともに変わります。それも予想していなかった形で。遅れずについて行かなければ…(最近、こればっかりですが 笑)と、思いを新たにしています。

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